2025年7月30日 / 最終更新日時 : 2025年7月30日 kuniedahiroshi 古代史への懐疑 倭国の遣使先とその遣使姿勢 2018.1.24 はじめに 通常、倭(い)国(こく)(注)について論じる場合には中国の史書類と古事記や日本書紀という日本の史書を突き合わせながら行われる。しかし、私 […]
2025年7月29日 / 最終更新日時 : 2025年7月30日 kuniedahiroshi 古代史への懐疑 『隋書』倭国伝への一考察(上) ― 「対等外交」 は教科書から消えるのか ― 『隋書』倭国伝、大業三年条の次の文章はあまりにも有名だ。 大業三年 其王多利思比孤遣使朝貢 使者曰 海西菩薩天子重興仏法 故遣朝拝 兼沙問数十人来学仏法 其国書曰 日出處天子致書日没處天子無恙云々 帝覧之不悦 謂 […]
2025年7月28日 / 最終更新日時 : 2025年7月30日 kuniedahiroshi 古代史への懐疑 『隋書』倭国伝への一考察(中) ― 「対等外交」否定の論理1 ― 第二節 「対等外交」についての現在の研究動向 はじめに 教科書からなぜ「対等外交」が消えつつあるのかを追跡する私のテーマにふさわしい研究がある。この話題において中心的役割を担うのが河上麻由子氏である。氏が中心になる […]
2025年7月27日 / 最終更新日時 : 2025年7月30日 kuniedahiroshi 古代史への懐疑 『隋書』倭国伝への一考察(下) ― 「対等外交」否定の論理2 ― 7 「不悦」「無礼」についての解釈—-「対等外交」の意味 (1)仏教的「対等」について 「天子対天子」の天子が仏教的な意味だとすれば、菩薩天子という仏教者である煬帝は倭の国書を不快に感じることも、無礼だと怒ることもな […]
2025年7月15日 / 最終更新日時 : 2025年7月30日 kuniedahiroshi 古代史への懐疑 古代史コラムNo・4 「王者」対「覇者」 小学生のころ何回か神宮球場に六大学野球の試合を見に行き、父親が慶応大学出身ということで慶応の応援をしていた。応援歌は「陸の王者慶応」。1927年にできた歌だという。今でもその一番は空で歌える。 時は流れる。高校のときにサ […]
2025年7月14日 / 最終更新日時 : 2025年7月30日 kuniedahiroshi 古代史への懐疑 「夷狄」考:『論語』と『史記』より はじめに 『論語』を改めて読んでしばらく考え込んだ。異民族・異文化の民を表す「夷狄戎蛮」などの解説の多くに違和感を覚えたからだ。『論語』には「夷狄」が二か所、「九夷」と「蛮貊之邦」が各一か所で記されている。しめて四か所。 […]