「海原」考 常識の作られ方 古代史コラム2
はじめに
古田武彦氏の『古代史の十字路』第三章〈豊後なる「天の香久山」の歌〉は、私にとって特に印象深いものであった。特に次の言葉である。「歌の前書きは後代の作であり第二次史料に過ぎない。歌そのものが第一次史料である。」
そこで取り上げられている歌が、万葉第一巻第二歌の天の香久山歌である。この歌の前書きには舒明天皇の歌と記されていた。したがって、通説的にはこの歌にある山常、八間跡という語を「ヤマト=大和」と読むが、それは可能か。大和で詠われた歌ならば、この歌の天の香久山はヤマトの盆地にあるあの香久山なのだろう、となるが果たしてそうなのか。つまり、歌の前書きと歌そのもの、そして現実の香久山とその周辺の光景、これらは本当に適合しているのだろうか。
古田氏は次の点を特に疑った。この歌は舒明歌ではない。作歌場所はヤマトではない。天の香久山は「多くの山の中でも一番ととのっている」山とはいえない。天の香久山は煙立龍(たちたつ)」場所であり、鷗が「立多都(たちたつ)」「海原」の近くでなければならない。
古田氏は結論付けた。大分県にある鶴見岳が「あまのかぐ山」に相応しい、と。「天の」は豊後(大分県)の古名が海部、安萬(あま)、さらに神楽女湖(かぐらめこ)が近くにある。鶴見岳には火男火女神社(ほのおほのめじんじゃ)があり、その祭神には火の迦具土命(ほのかぐつちのみこと)がいる。氏のこの文章に魅かれて、私は大和盆地の「香久山」と大分の鶴見岳へと旅することになった。この点についての詳細は、すでに「短歌から日本古代史を考える」(私のブログ・常識への懐疑)で論じている。
今回の議論は「海原」について掘り下げてみようという試みである。「大和の香久山」周辺に海は無い。なぜ「海原」と海とは無縁の山、というより丘とが結び付けられてしまったのか、という問題に焦点を当ててみた。
とはいえ、ここではまだ一種の予備調査のような段階、あるいは中間報告といったものでしかない。今後さらに突き詰めていく予定である。参考資料として、表Ⅰ・表Ⅱを添えてある。
一、江戸期の万葉集の解説を見る
私が見た限りでは、契沖は第二歌を取り上げているが、海原については触れていない。賀茂真淵が、『万葉考』で第二歌解釈で「池も海と言う」と述べ、埴安の池を海に見立てた、と記す。本居宣長は第二歌については、契沖と同様に「海」には触れていない。真淵の『万葉考』を参考にしているにもかかわらず。
江戸時代に「海原」を「池や湖」と解釈したのは賀茂真淵であったようだ。
江戸期以前について、私には調べる術無し。私が調べた範囲ではあるが、契沖と宣長は「海原」の解釈は行っていなかった。
二、その後の万葉歌解説書
海原解釈:(一)埴安、磐余の池などを海に見立てる、また構想力(天皇による国土の繁栄を願う気持ちなど)、例えば海における豊漁への希望を歌ったもの。これは賀茂真淵の流れ。伊藤博『萬葉集』新潮日本古典集成、伊藤博『萬葉集釋注』集英社、土屋文明『萬葉集私注』、澤瀉久孝『万葉』
(二)海は見えないが、作歌者・舒明天皇の構想力によって理想の情景を歌にした。中西進『万葉集』講談社文庫、上野誠『万葉集講義』中公新書、多田一臣『萬葉集全解』筑摩書房
現在の万葉集解説本はことごとく(私が見た限りでは全部)、ヤマトの香久山周辺にあったとされる埴安の池、磐余の池などが海に見立てられたと述べる。
万葉歌二六六、淡海(近江)の海(=琵琶湖)夕波千鳥・・・から、淡水も「海」と考えられていたなどと「解説」している。琵琶湖は海にたとえられる可能性はあるだろう。しかし、池を海にたとえる詩心を私は持ち合わせていない。また、琵琶湖が淡水だから、淡水の池も海原の仲間入りをさせてもよいだろう、という推理がされたのだろうか。誤った推理である。
三、閲覧できた範囲での古語辞典で気づくこと
(一)1929年~1963年まで池、湖は無い。
(二)1963年に「池」が初めて登場。その後、すべての古語辞典に「池ないし湖」が載る。
以上、表Ⅰに記載。
※調査する
①もっと多くの古語辞典を探す。より古い古語辞典はあるか。
②1963年以前に「池、湖」を載せる古語辞典は無いのか。
③1963年~1987年の間に「池、湖」を載せない古語辞典は無いのか。
四、閲覧できた範囲での国語辞典で気づくこと
(一)1891年(明治二四年)(1847~1928)、大槻文彦による『言海』が日本最古の国語辞典といわれる。ただし、私は大槻の1891年の初版本は閲覧できていない。
以下、私の推測である。大槻文彦編集の1932年版、1992年版が共に「池、湖」を載せていない。大槻文彦は1928年に亡くなっている。ということは、1932年版、1992年版には大槻は関わっていない。しかし、編纂者名は大槻文彦であった。ということから、1891年の初版にも「池、湖」は載せられていなかったであろう。
(二)新村出による『辞苑』(1935年)、『広辞苑』の初版(1955年)には「池、湖」は無い。
『広辞苑』第二版(1969年)に「池、湖にもいう」とある。これが国語辞典に「池、湖」が載る最初であった。
新村出は1967年に亡くなるが、第二版には関われた可能性はある。初版と第二版の間にどのような経緯があったのだろうか。古語辞典で「池・湖」が載るようになったからであろうか。当然、第二版から始まり第七版(2018年)まで「池、湖」が『広辞苑』に載る。
(三)国立国会図書館で『広辞苑』第二版の「海原」の用例を「全文検索」で調べた。十一の例があった。
それは次の項目である。①「あおうなばら」、②「いさる〔漁る〕」、③「うきね〔浮寝〕」、④「うのはら〔海原〕」、⑤「おおうなばら」、⑥「そうえい〔滄瀛〕」、⑦「そうかい〔滄海・蒼海〕」、⑧「そうめい〔滄溟〕」⑨、「へきかい〔碧海〕」、⑩「めいかい〔冥海〕」、⑪「わたのはら〔海の原〕」
②、③を除けばすべて大海、青海などを指すことが分かる。
②「いさる」は魚介類の漁を意味する。やはり海にかかわる。
③は、「船の上で寝る」ことを意味する万葉歌がある。第巻十五第三六三九歌、「奈美能宇倍尓 宇伎祢世之欲比 安杼毛倍香 許己呂我奈之久 伊米尓美要都流(波の上に浮き寝せし宵あど思へか心悲しく夢に見えつる)」。
この歌は朝鮮半島に向かう船が瀬戸内海を航行中に詠まれた歌といわれる。新村出の「海原」のすべての使用例は、文字通りの「海」であった。「海原」の項だけに「池・湖」が記載されているのを除けば。
(四)国語辞典で海原に「池、湖の意味がある」と載せる辞書は、新村出の『広辞苑』二版以降と中野博が編纂者に名を連ねる辞書に限られる。以上、表Ⅱに記載。
五、出典に注目
(一)「池、湖」の載る辞書は、出典に万葉集第一巻第二歌を挙げている。「ヤマトにはムラヤマあれどトリヨロフ天香久山・・・海原は鷗タチタツ・・・」
しかし、新村出『広辞苑』第二版以降には不思議なことがある。海原が「池、湖」を意味すると述べているにもかかわらず、第二歌は典拠として挙げられていない。そして、文字通りの「海」の典拠を示す巻五第八七四「松浦佐用姫」歌が挙げられている。
宇奈波良(海原)の沖行く船を帰れとか領巾(ひれ)振らしけむ松浦佐用姫
この万葉歌は、松浦佐用姫が夫の大伴狭手彦が任那復興のために朝鮮半島に向かう船に向かって、「行かないでほしい」という思いで手を振るときの歌とされる。したがって、これは明らかに池の歌ではない。海外に向かうのだから湖でもなく、「海」に関わる歌ということは明らかだ。「沖」もまた広々とした海が眼前に広がっている光景である。佐用姫歌は海の典拠にはなりえても、「池、湖」の典拠にはなりえない。新村出は、万葉第二歌を「海」の歌だと認定することを憚ったのではないだろうか。
それではなぜ、新村は海原の意味に「池、湖」を含めたのだろうか。謎である。謎ではあるが、その後の幾多の辞書編纂に与えた影響の大きさ、そして海原には「池、湖」もあるという常識形成に果たした影響は計り知れなく大きい。このことは謎ではない。
(二)逆に、「海原」が「広い海」である、そして「池、湖」を載せない国語辞典は、第二歌は挙げていない。当然であろう。また、中には第五巻第八七四の佐用姫歌を典拠としているものがある。
(三)したがって、この八七四歌を典拠にして海原は海、しかも大海とすることはあるだろう。1928年冨山房・修訂大日本国語辞典、1928年冨山房・大言海がその例である。
(四)国語辞典で「海原」に「池や湖の広い水面」の意味を載せ、万葉第二歌を典拠にするのは、松村明の小学館・大辞泉第一版のみである。
六、現在までに分かっていること
近現代において「海原」項に「池、湖」を記載した辞書の最初は、古語辞典では1963年小学館の古語大辞典初版である。あるいは、確認はできていないが、1960年旺文社古語辞典初版で「池、湖」が載っていた可能性もある。果たしてどうであろうか。いずれにしても、古語辞典で「海原」の意味に「池、湖」が含まれるのは1960年代以降になる可能性は大きい。
また、国語辞典では1969年の『広辞苑』第二版が「池、湖」を載せる最初の辞典である。1960年代は大きな転機になったのかもしれない。
七 『広辞苑』の影響力
大事な点なので強調しておきたい。『広辞苑』第二版~第七版は、「海原」が「海」の歌「第五巻八七四歌」だけを典拠にする。ということは、『広辞苑』では「池と湖」の典拠は示されていないことになる。第八七四歌を「池・湖」の典拠にはできないからだ。第二歌は「池と湖」の根拠にはなっていない点は確認しておきたい。
しかし、『広辞苑』は極めて影響力の大きな辞書である。現代語だけでなく古語の辞書編纂への影響力も計り知れないものがあるだろう。常識の形成はこのような形でも行われる。当然、古典解釈にもその影響及び、「万葉第二歌は近畿ヤマトで詠まれた」、とされてしまう。
しかも問題はそれだけではない。国語辞典に古語辞典の役割も忍び込ませていることだ。「古くは」と断る国語辞典もある。しかし断らない国語辞典もある。仮に、「古くは」と断っていたとしても、それが読者に見落とされることもある。したがって、さらに国語辞典だから「現代でも海原は池や湖の意味もある」という形で意識の中に忍び込む危険性さえある。古代にはなおさら「海原は池・湖の意味で使用されていた」ことになってしまう。
高校時代を前回の東京オリンピックの時代に過ごした私たちの世代は、万葉集第二歌の賀茂真淵による解釈による影響を免れていたのかもしれない。万葉集に関心を持つものを除けば。「海原」は「広い海」以外の何ものでもなかった。私たちの前の世代、また後の世代はどうなのであろうか。
※ 調査する とはいえ、どのように調査すればよいのか・・・
①「池、湖」を載せる1963年以前の古語辞典、1969年以前の国語辞典は無いのか。②国
語辞典の編纂者の中に、「古語」の「海」には「池、湖」を含めてもよいが、「現代語」には載せては
いけないと考え、「池、湖」を国語辞典の「海原」の項には載せないという考えの持ち主もいたの
だろうか。③主要な辞書において、「海原」の項以外で、「海原」がどのような意味で使われてい
るか。まだ調べが及んでいない。④古い時代の(ここでは賀茂真淵以前を意味する)万葉第二歌
において、「海原」はどのように解釈されていたのだろうか。
最後に 暫定的な結論、あるいは仮説
一、万葉第二歌だけが「宇奈波良(海原)は池、湖でもある」ことの唯一の「有力な典拠」になっている。
二、古田武彦氏の万葉歌の「前書き批判」は極めて重要な指摘であった。第二歌は「近畿ヤマト」で詠まれた歌ではない可能性が極めて大きい。
表Ⅰ | 海原 古語辞典 | ||||||
年度 | 出版社 | 書名 | 編者 | 意味1 | 意味2 | 典拠・歌 | |
1929 | 刀江書院 | 日本古語大辞典 | 松岡静雄 最古の古語辞典 | 語義は「海原」であろう | 第十四巻三四九八歌 | ||
1951 | 蒼明社 | 古語辞典 | 江原熙 | 廣々とした海 | 無し | ||
1962 | 旺文社 | 古語辞典増補版 | 守随憲治、今泉忠義 | 広い海 | 無し | ||
1963 | 旺文社 | 古語辞典 | 鳥居正博 | 広い海 | 無し 私が高校の時に使用 | ||
1963 | 小学館 | 古語大辞典初版 | 中田祝夫、和田利政、北原保雄 | 広い海 万葉5・874 | 広い池 | 第一巻二歌 | |
1974 | 岩波 | 古語辞典初版 | 大野晋、佐竹昭広、前田金五郎 | としひろびろとした海 | また、池についてもいう | 第一巻二歌 | |
1979 | 講談社 | 学術文庫 | 佐伯梅友 | 広々とした海 万八七四 | 広い池の面 | 第二歌 | |
1987 | 学研 | 新古語辞典 | 市古貞次 | 広々とした海 | また、湖・池 | 第一巻二歌 | |
1998 | 大修館書店 | 古語林 | 林巨樹、安藤千鶴子 | 広大な海 | 広い湖や池などにもいう | 万葉巻十五 | |
1998 | 小学館 | 全訳古語例解辞典 | 北原保雄 | 広々とした湖や海 | 湖 | 無し | |
2004 | 小学館 | 全文全訳古語辞典 | 北原保雄 | 広々とした湖や海 | 湖 | 無し | |
2010 | 旺文社 | 古語辞典 初版1960 | 村松明、山口明穂、和田利政 | 広々とした海 | 広い池や湖についてもいう | 第一巻二歌 | |
2011 | 角川学芸出版 | 古典基礎語辞典 | 大野晋 | はてしなく広がる海 | 古くは池や湖にもいった | 第二歌、万葉八七四 | |
2011 | 旺文社 | 全訳古語辞典 | 宮腰賢、石井正己、小田勝 | 広々とした海 | また、広々とした湖・池 | 万葉七・一〇八九 | |
2017 | 三省堂 | 全訳読解古語辞典 | 鈴木一郎、小池清治、他 | 広々とした海 | また、広々とした湖・池 | 無し |
表Ⅱ | 海原 国語辞典 | ||||||
年度 | 出版社 | 書名 | 編者・執筆者 | 意味1 | 意味2 | 典拠・歌 | |
1891 | 自費出版 | 言海 最古の国語辞典 | 大槻文彦(1847~1928) | 閲覧できていない ? | |||
1928 | 冨山房 | 修訂大日本国語辞典 | 松井簡治、上田萬年 | ひろびろとしたる海 | 万葉五、松浦佐用姫 | ||
1932 | 冨山房 | 大言海 | 大槻文彦 没 | 原は広きを意う | 万葉五、松浦佐用姫 | ||
1935 | 岩波 | 辞苑 | 新村出 | ひろびろとした海 | |||
1952 | 三省堂 | 辞海 | 金田一京助 | 海、広々としているので原という | 無し | ||
1952 | 研究社辞書部 | ローマ字で引く国語新辞典 | 福原麟太郎、山岸徳平 | 廣々とした海、the ocean | 無し | ||
1955 | 岩波 | 広辞苑初版 | 新村出(1876~1967) | 広々とした海、うのはら | 無し | ||
1960 | 旺文社 | 国語辞典増補版 | 守随憲治、今泉忠義 | 広々とした海、うのはら | 無し | ||
1962 | 旺文社 | 古語辞典増補版 | 鳥居正博 | 広い海 | 無し 私が高校の時に使用 | ||
1969 | 岩波書店 | 広辞苑第二版 | 新村出 ( 1976没) | ひろびろとした海 | 池、湖にもいう | 萬葉五、松浦佐用姫 | |
1976 | 岩波書店 | 広辞苑第二版補訂版 | 新村出 | ひろびろとした海 | 池、湖にもいう | 萬葉五、松浦佐用姫 | |
1983 | 岩波書店 | 広辞苑第三版 | 新村出 | ひろびろとした海 | 池、湖にもいう | 萬葉五、松浦佐用姫 | |
1988 | 学研 | 国語辞典二版 | 金田一晴彦、池田弥三郎 | ひろびろと広がった海 | 無し | ||
1991 | 岩波書店 | 広辞苑第四版 | 新村出 | ひろびろとした海 | 池、湖にもいう | 萬葉五、松浦佐用姫 | |
1992 | 冨山房 | 新編大言海 十一版 | 大槻文彦 | うな、海 | 無し | ||
1992 | 講談社カラー版 | 日本語大辞典 | 梅棹忠雄、金田一晴彦 | ひろびろとした海、ocean | 無し 初版1989 | ||
1993 | 三省堂 | 辞林 | 松村明、佐和隆光、養老孟司 | 広々とした海、うのはら | 広い水面 | 無し | |
1995 | 小学館 | 大辞泉一版 | 松村明 | 広々とした海、うのはら | 池や湖の広い水面 | 万葉二 | |
1998 | 岩波書店 | 広辞苑第五版 | 新村出 | ひろびろとした海 | 池、湖にもいう | 萬葉五、松浦佐用姫 | |
1999 | 三省堂 | 大辞林新装第二版 | 松村明 | 広々とした海、うのはら | 広い水面 | 無し | |
2008 | 岩波 | 広辞苑六版 | 新村出 | ひろびろとした海 | 池と湖にもいう | 万葉五、松浦佐用姫 | |
2011 | 岩波 | 国語辞典七版 | 西尾実、岩淵悦太郎、水谷静夫 | ひろびろとした海 | 無し | ||
2018 | 岩波 | 広辞苑七版 | 新村出 | ひろびろとした海 | 池と湖にもいう | 万葉五、松浦佐用姫 | |
2020 | 三省堂 | 国語辞典七版 | 見坊豪紀、市川孝 他 | ひろびろとした海 | 無し 初版1960 |